尺八は国際的な楽器/法器?
尺八は国際的な楽器/法器?
学究の世界では、尺八は現代日本の楽器とは言えない程国際化しているとも言われています。
とくに本曲は世界中で吹かれています。ヨーロッパのクラシック音楽みたいに、本曲は世界中の人々の音楽や音での表現になってきましたのでしょう。
現代音楽、ジャズ、ポップス、ニューエージ音楽等にも使われ、尺八はいろんな役割をしている楽器です。
それについて日本人の尺八奏者の意見はどうなのでしょうか?
とくに本曲は世界中で吹かれています。ヨーロッパのクラシック音楽みたいに、本曲は世界中の人々の音楽や音での表現になってきましたのでしょう。
現代音楽、ジャズ、ポップス、ニューエージ音楽等にも使われ、尺八はいろんな役割をしている楽器です。
それについて日本人の尺八奏者の意見はどうなのでしょうか?

尺八は日本の伝統的な思考構造や感性の歴史的な進化に従いながら、それを表現するように進化してきました。十九世紀に確立された西洋音楽理論の下に作られた音楽は、尺八では表現できないところが多々あります(それらしくは演奏できますが、偽物になってしまいます)。
ホモホニ―とヘテロホニーの世界の違いでしょう。機能を良く理解したうえで選曲、演奏することが大事ですね。
尹伊桑(ユン・イサン)が「洋楽のような楽器の扱い方をすると伝統楽器は壊れてしまう。死んでしまうんだ」と言っていたそうです。
ホモホニ―とヘテロホニーの世界の違いでしょう。機能を良く理解したうえで選曲、演奏することが大事ですね。
尹伊桑(ユン・イサン)が「洋楽のような楽器の扱い方をすると伝統楽器は壊れてしまう。死んでしまうんだ」と言っていたそうです。
西洋音楽の理論理論は一つですが、システムが違いますね。私も何回か西洋楽器で演奏した方がいい曲を演奏しました。その後、気をつけています。偽物かもしれませんが、ただ単にそのために構造されていまい楽器で演奏しても、限りがあります。
ホモフォニーとポリフォニーの世界では音色が日本の音楽程開発していません。やはり、重ねてもいい、シンプルな音色になってしまいますね。そのかわり、西洋以外の音楽の世界はヘテロフォニーとモノフォニーの世界です。メロディー、音色、音のいろんな加減が輝くことができます。サワリの世界...
でも、いい作曲家でしたらこの尺八の音色をビルディングブロックとして、いい曲を作曲するのは可能でしょう。
ホモフォニーとポリフォニーの世界では音色が日本の音楽程開発していません。やはり、重ねてもいい、シンプルな音色になってしまいますね。そのかわり、西洋以外の音楽の世界はヘテロフォニーとモノフォニーの世界です。メロディー、音色、音のいろんな加減が輝くことができます。サワリの世界...
でも、いい作曲家でしたらこの尺八の音色をビルディングブロックとして、いい曲を作曲するのは可能でしょう。
その通りです。
西洋楽器のように合理的に均質化した音ではなく、音の高さによって音色が異なっていたり、自然の雑音も含め音楽と認識したり、音楽的時間の捉え方の違っていたりします。特に日本人にとっては、そのアイデンティティーとして日本文化の思考構造、そこから生まれてくる感性のもとで出来上がった邦楽器の機能を生かすための音楽を発展させていくことが大事だと思っています。日本以外の所では、楽器にビルドインされたものを生かすような無国籍な音楽を創造させて欲しいですね。
西洋楽器のように合理的に均質化した音ではなく、音の高さによって音色が異なっていたり、自然の雑音も含め音楽と認識したり、音楽的時間の捉え方の違っていたりします。特に日本人にとっては、そのアイデンティティーとして日本文化の思考構造、そこから生まれてくる感性のもとで出来上がった邦楽器の機能を生かすための音楽を発展させていくことが大事だと思っています。日本以外の所では、楽器にビルドインされたものを生かすような無国籍な音楽を創造させて欲しいですね。
拓山さんが説明していただいたのは、日本文化の思考構造とそれからできる感性は日本人から見ると、日本人のアイデンティティーを表現するのものでしょうか?
それはいい説明だと思います。音の感性は本当に場所によって違いますね。例えば、南米のグループではジャングルの鳥のような音楽(カコフォニー)です。その人々の音の感性は環境にもよるし、社会のもよる。おもしろいですね!
無国籍な音楽はどのようなおんがくを考えていますか?例え、尺八が使われるのなら、尺八の利点を強調したものですか?拓山さんの意見ではどの音楽がそのカテゴリーに入りますか?
私はドクターコースのため、5つ地なし尺八のため作曲してもらいました。2人日本人の作曲家(高橋悠治、ユミ・ハラ・コークウェル)、2人イギリス人(フランク・デニヤー、ロクサナ・パヌフニック)と1人デンマーク人(モエンス・クリステンセン)。来月から録音します。
それはいい説明だと思います。音の感性は本当に場所によって違いますね。例えば、南米のグループではジャングルの鳥のような音楽(カコフォニー)です。その人々の音の感性は環境にもよるし、社会のもよる。おもしろいですね!
無国籍な音楽はどのようなおんがくを考えていますか?例え、尺八が使われるのなら、尺八の利点を強調したものですか?拓山さんの意見ではどの音楽がそのカテゴリーに入りますか?
私はドクターコースのため、5つ地なし尺八のため作曲してもらいました。2人日本人の作曲家(高橋悠治、ユミ・ハラ・コークウェル)、2人イギリス人(フランク・デニヤー、ロクサナ・パヌフニック)と1人デンマーク人(モエンス・クリステンセン)。来月から録音します。
日本の社会構造もグローババル化していますが、日本の風土に育った神道、仏教や儒教等々からの思考構造が精神の奥底に残っていると思います。演奏者も作曲者もその感性の下で、西洋と違った方向から音楽づくりをする事が日本人としてのアイデンティティーの表現だと思っています。
ペンタトニックの音楽でも微分音的な奏法やメリスマ等に見られるように実際は間の音を使った演奏をしています。セリー音楽、トーン・クラスター技法、アレアト-リク等々の様々な音楽語法を使う事も出来るのではないでしょうか。
日本人とは違う風土の下に育った人達は、楽器の機能やその背景を理解した上で、その国の人達の感性で作曲、演奏することが無国籍な音楽と表現しています。
ただし、尺八が西洋楽器の様に扱われたり改良されることがないように願っています。
高橋悠治さんの曲はいくつか聴いたことがあります。他の曲もどんな曲か聴いてみたいですね。
ペンタトニックの音楽でも微分音的な奏法やメリスマ等に見られるように実際は間の音を使った演奏をしています。セリー音楽、トーン・クラスター技法、アレアト-リク等々の様々な音楽語法を使う事も出来るのではないでしょうか。
日本人とは違う風土の下に育った人達は、楽器の機能やその背景を理解した上で、その国の人達の感性で作曲、演奏することが無国籍な音楽と表現しています。
ただし、尺八が西洋楽器の様に扱われたり改良されることがないように願っています。
高橋悠治さんの曲はいくつか聴いたことがあります。他の曲もどんな曲か聴いてみたいですね。
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