伝統の継承とは
尺八本曲には伝統があるからといって伝統に盲従するということではなく、
むしろ伝統は解体され、新たに読み直されることが必要と考えています。
それが怠られる時、伝統は硬直し、死んだものになってしまうと思っています。
西洋音楽の世界でも、カザルスが古典の演奏に関して
「自分自身に打ちこまないで、反対に、もっとも悪いことのふける芸術家たちがいる。
つまり、≪技術の完璧≫を求めるためと称して型にはまった慣例に専念するのだ。
さて、その結果として、芸術とはおよそ反対な機械的な凍りついた演奏になる。」
と言っているのと同じ意味だと思います。
日本以外の人達は、本曲をどの様に考え演奏されているのでしょうか?